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団 長 日 誌 |
〜ちょっと無理して出かけよう 輝く笑顔と、素敵な自分が見えてくる〜
自 分 発 見 地 球 発 見
さまざまな人が生きている地球
そこには、生きるためにさまざまな問題を抱えている人が大勢います。
そして、その人達への手助けをして懸命に頑張ってる人たちもいます。
今回、ベトナム・フエの「子供の家」を訪ねて、子供達と交流することにより
きっと大切な何かを見つけられるはず。一緒に見つけにいこうよ!
※「子供の家」とは、1994年秋に元東京公立小学校教諭・小山道夫氏がベトナム中部の古都・フエ市において、ストリートチルドレンの自立支援の為に設立した施設です。 |
3月25日《1日目》(上尾→成田→ホーチミン) | |||||||||
4度の事前研修を終え、14名のスクール生と8名のスタッフはいよいよベトナムの「子供の家」に現地研修に出発だ。上尾の福祉会館に集合し12時出発。まだまだ皆緊張の面持ち。帰る時にこの顔がどれほど変わっているかが楽しみである。
14時30分、成田で2名のメンバーが合流し、全員揃う。チェックインを済ませ搭乗口に行くと、なんと工事中の滑走路に着陸した飛行機があり、撤去に時間がかかり出発が遅れるとの事。約40分遅れ・18時30分の出発であった。 ホーチミン着も約30分の遅れ、22時半を回っていた。暑さにムッとしたがまだ夜なのでホッとした。昨年も付いてくれたガイドのミンさんが出迎えてくれ、荷物を車に積みホテルへ向かった。 予定通りバスの中でのミーティング。翌日の予定の確認、明日は5時ロビー集合・出発を通達。ホテルに着いてチェックインをしたのは24時になっていた。
【独白】スクール生も昨年より平均年齢が高く、スタッフも昨年の経験がありスムーズに初日が終わった。しかし、翌日のフエへの航空便が早朝便しかなくなり、翌日以降のスクール生の体力が心配だった。 |
(上尾福祉会館・出発の様子) |
3月26日《2日目》ホーチミン→フエ(フエ王宮・ティエンムー寺見学) | |
(ティエンムー寺院) (市場からシクロに乗る)
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早朝5時集合、事前研修で時間の管理はきつく言い聞かせたのでさすがに集まりが早い。しかし確認をすると2名いない。部屋に電話をすると部屋にいた。胃痛ということでしかるに叱れなかった。飛行機が予定より10分早くなったということで、ホテルで用意してくれたサンドウイッチを持って急ぎ出発。6:50分発のフエ行きに間に合った。 8:10分フエ空港着、「子供の家」の小山先生・福田さん・ラームさんが出迎えてくれた。バスの中で昨年の話等をしながらフォンザンホテルに到着。チェックインを済ませ、市内観光に出発の筈だったが1名のスクール生のトランクが行方不明。全員集合させ、落ち着かせ、一斉に各部屋のチェック。他の部屋でトランクは無事に発見された。 その後、世界遺産のフエ王宮・ティエンムー寺院等の市内観光をして、レストランで食事をした。思えば落ち着いて食事をとるのは1日半ぶりであった。 昼食後、ホテルに戻り自由時間。ホテルで休む者。アオザイを作りにいく者、市場に行くものに別れた。私は市場を案内した。行きは渡し舟で行き、帰りは皆にシクロに乗せた。 午後3時から翌日の「子供の家」での交流会の練習。「硬派」「バンベ」のチーム別と全員での歌の練習。皆熱の入った練習に私も翌日が楽しみだった。 5時に終了し、6時からレストランでの食事。皆食欲旺盛で元気一杯だ。 夜、8時10分から全体ミーティング。目をつぶり3分間で1日を振り返ってもらった。その後全員が発表。最後に団長の私が、体験談を話した。 9時半からスタッフミーティングで長い1日が終了した。 【独白】海外に出たら、予定変更やトラブルは付き物と事前研修で何度も言ってきた。今回もここまででも成田での出発遅れ、フエ便の時間変更、トランク行方不明。でもスクール生は落ち着いて適確に指示に従ってくれた。 ミーティングにおいても非常に集中が早い。皆良い感性を持っている。振り返りの発表では、海外経験の多い今回のスクール生でもベトナムの庶民生活には、自分たちの生活とのかなりの隔たりを感じていた。
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3月27日《3日目》「子供の家」での交流 | |
昨夜から雨が振り出していたが、今朝は殆んど止み、6時半の朝の集い・体操も外で出来た。体操の後、チームに分かれフエの街の散歩。アジアは何処の国も朝が早いし、朝から活気づいている。ベトナムの古都も同じだ。朝食をホテルで食べて、8時いよいよ「子供の家」に出発だ。スクール生もホテルから盆踊りの為に浴衣を着ていた。8時期待を一杯胸にホテルを出発し、子供の家についた。
子供の家につくと、大勢の子供達が出迎えてくれた。早速寮長さんやスタッフの皆様と挨拶して、交流会を行う2階のホールに行った。昨年はコイ君と言う子がプールで溺死して、交流会が出来なかったので私も交流会を楽しみにしていた。 まず先に「子供の家」の子供達が私たちに歓迎の歌や踊りを見せてくれた。本当に一生懸命練習したようで私たちは嬉しくなった。さあ次は私たちの番だ。まずは全員で「It's a small world」を日本語と英語で歌い、次に「幸せなら手を叩こう」を子供達も入れて行った。そしてチーム別では「東京音頭」と「炭鉱節」を見せ、その後子供達も入れて踊った。子供達は踊りが大好きで、何度も何度もアンコールで踊っていた。 交流会も終わり、「バンベチーム」は食事当番の子供と昼食の準備。「硬派チーム」は残りの子供とお遊びの時間を過ごした。スクール生たちは、子供達とお絵かきをしたり、縄跳びをしたり、サッカーをしたりして、ここぞとばかりにはしゃいでいた。 食事の時間になり、雨だったので狭い食堂での食事だった。晴れていれば青空の下での食事の予定だった。しかしそれも良し。肩を寄せ合い楽しく食べた。スクール生には失礼かも知れないが、このメニューが日本ででたらきっとまともに箸をつけないだろうと思う質素な食事であったが、本当に美味しそうに食べているスクール生を見て、地球市民の姿を見た。子供達は自分たちより先に、私たちによそってくれ、おかわりもしてくれた。食事の後かたずけは「硬派チーム」と子供達で行った。この姿をスクール生の親に見せたい気持ちで一杯だった。 食事後、子供達もお昼寝の時間なので、私たちもホテルで休息をして、3時に子供の家に戻った。3時から約40分間、小山先生の講義を聞いた。どうしてここに「ストリートチルドレンの施設を作ったか」「運営の難しさ」「子供達の愛情の話」あっというまの時間だった。その後子供達と遊び、夕刻ホテルに戻った。皆充実感で一杯の顔をしていて嬉しかった。 夕食後のミーティングは、3分間目をつぶらせ、今日の1日とそれぞれの今までの人生を振り返らせた。そして目を瞑らせたまま、「日本での生活の甘え」と「生きるということの厳しさ」を語った。多くのスクール生はベトナムに来て「生きる」事の厳しさを知り、涙を流しながらそれぞれの想いを語ってくれた。素晴らしい1日であった。 【独白】子供の家の子供は本当に愛情不足と感じる場面と小山先生の愛情の深さを感じる場面を見た。それは小山先生に話をしている子供は皆、必ず先生の体に触れて話をしている。体に巻きついている子も多い。まるで動物の本能を出している姿であった。それでも先生は親の愛情の代わりは出来ないとキッパリと言う。親子の愛とは本当に凄い物である。 また我がスクール生もスポンジのような心を持っている子ばかりだ。見る物、聞く物全てを吸収し、自分の物にしていく姿をみてスタッフ冥利を感じていた。私は時々講演を頼まれ人に話す機会がある。聞く側の反応が良いと話すほうもどんどん感情が入って話せる。今回のスクール生は私の話す気持ちをどんどん引き出してくれた。 |
(子供の家での歌での歓迎)
(子供達に盆踊りを教える)
(子供達の踊りを見るスクール生)
(子供達との昼食の片付け) |
3月28日《4日目》病院へ車椅子の搬送・見学、小学校へ衣類の贈呈 | |
(汗だくになり車椅子を運ぶ)
(水上生活者の子に衣類を渡す)
(水上生活者の子に衣類を渡す)
(授業訪問で質問を受ける) |
今朝も6:30集合。皆、時間より早めに集まってきたが、1名のスクール生が体調不良を訴えた。さすがに旅も半ばになり、心身ともに疲れが出たのだろう。半日休ませることにし、女性スタッフ1名をつけて朝食後7:30にホテルを出発。 今日は朝から、日本から送られてきている中古の車椅子・ベビーカー等を倉庫から病院への搬送作業だ。ベトナム戦争の影響で肢体不自由の人が多いのは悲しいことだ。皆、驚くほど頑張り、大きなトラック2台分を1時間半で搬送が終了。ベトナムの人に頼むと1日かかる仕事だと、子供の家のスタッフの方が言っていた。 思わぬ時間の余裕に、折角来た病院なので、病院見学を申し出て、ベトナムの医療に実態を垣間見ることが出来た。建物とベッドがあるだけで、器具・薬等の不足を実感した。 10:00過ぎにホテルに戻り、今度は日本から送られてきている衣類の袋詰め作業だ。午後から行く、貧困水上生活者の多くが通うフールー小学校に持っていくためだ。この作業もあっという間に終わった。ご褒美に市場散策の時間を持った。その後昼食を食べ、3時にフールー小学校に向かった。午前中休んでいたスクール生も元気に復帰し、ホッとした。 小学校に着くと、丁度休み時間のため皆校庭で遊んでいた。ベトナムの子供は驚くほど活発だ。日本の小学生の10倍は動き回っているだろう。その中の水上生活者60名に、仕分けした衣類を手渡した。 スクール生は本当に子供達が好きだ。ベトナムの子供達に元気を貰ってるようにも見えた。その後授業見学もした。驚くほど勤勉意欲旺盛で、算数が好きな子が多かった。私は2つの質問をした。「幸せですか?」「日本の私たちと友達でいてくれますか?」2つの問いに大声で「はい」と答えてくれた。スクール生はそれを聞いて、「幸せとは物質的なものでは無い」と感じてくれただろう。 4:30学校を後に「子供の家」に行き、40分少々であったが、子供達と過ごし、ホテルに戻った。 夜のミーティングでは、今日1日を振り返らせ、感想を述べさせた後、私の体験談・ベトナム以外の国の状況等を話し、長い1日は終わった。 【独白】この1日はスクール生にとって、かけがえのない1日だったに違いない。そして彼らは、今までの人生で、人の為にこんなに汗を流したことも無いだろうし、人の為に流す汗がこんなに楽しい事も知らなかったであろう。 小学校訪問の後、スクール生は「子供の家」に行くことを悩んでいた。僅かな時間で淋しさだけが残るのと、他の訪問団体がいて遊んでいたからだ。しかしその不安は一瞬にして払拭された。昨日遊んだ子供達がそれぞれ名前を呼びながら駆け寄ってきたからだ。子供達は敏感である。確かに「子供の家」は訪問者が多く、訪問者には慣れている。しかし心から損得抜きで接してくれた人の事は決して忘れない。親を失っている子だからこそ、尚更本当の愛情には敏感だ。君たちは本物だよ。自信を持ちな!それでも不安なら次は、僕とスラム訪問しよう。ホンの少しだけ時間はかかるがすぐに打ち解けて楽しく遊べるよ。 |
3月29日《5日目》フエ→ホーチミン(戦争博物館見学)、サイゴン川クルーズパーティー | |
朝から雨、今日はいよいよフエを離れホーチミンに戻る。6時30分の朝の集いも皆、心なしか元気がない。でも時間前にきっちり集まる事は出来ている。フエでの最後の体操も済ませ、朝食後8時に出発した。小山先生・福田さんも空港まで見送りに来てくれ、再会を約束してホーチミンに飛んだ。
ホーチミンに昼前に着いた。ここも雨だ。昼食を済ませても雨が上がらず、市内観光は「戦争博物館」1箇所にしてホテルに戻る事にした。戦争博物館は「ベトナム戦争」の悲惨な様子が展示してあり、ここは来るたびに心が痛む。スクール生も同じ思いだったに違いない。目指すは「世界平和」。 しかし一向に雨が上がる様子が無い。ミンさんに聞くと「夕方までにあがる」と言う。僕はどうしても雨が上がって欲しかったので、願いを込めて雨が上がったら10,000ドンという賭けをした。さすがにベトナム人夕方には見事に雨が上がり、ドンが無かったので1ドル札に記念のサインをいれプレゼントした。 予定より早めにホテルに行き、自由時間とした。ホテルで休む者、買い物に出る者、それぞれの時間を過ごした。 私はお買い物のお付き合いをした。 そしていよいよ今夜は団長招待ディナーである。集合時間には、女性たちは現地で買い求めたアオザイやワンピース等でドレスアップをして集まってきた。その美しさに大いに目を見張った。すぐ近くの船着場に行き、皆で乗船して、お洒落なディナーは始まった。 しかし、不覚にも私は普段1滴も飲めないのに開放感・達成感とスクール生の後押しにより一気に飲んでしまい、決してお洒落なパーティーで無くなってしまったのは、大いに反省をしなければならなかった。 【独白】フエとホーチミンの街は全く違う。ここは大都会である。また船着場は観光客で賑わっている。そこには当然ながら物乞いも集まってくる。夜にも拘わらず眠っている赤ちゃんを抱いて物乞いをする者も多い。この光景に純真なスクール生たちは動揺した。 ボランティア・援助というものは難しいものである。与えることにより勤労意欲を奪い、物乞いを生業とする者もいる。マザーテレサの修道会にあった言葉を思い出した。 Don’t
walk in front of me.
I
may not read. 私たち「地球市民」は「物やお金を与えるのでなく、一緒に考え、一緒に歩んで行く」 そうあり続けたい・・・。 |
(お洒落をして集合) (クルーズ船乗船前) (クルーズディナー) |
3月30日《6日目》市内見学、市場散策等 深夜ホーチミン発→ | |
(ホーチミン空港へ向かうバスの中)
(空港で団旗にサインを入れる) |
いよいよ最終日、今日の深夜便でホーチミンを発つ。朝の集い・ホーチミン散歩も済ませ9時市内観光に出る。昨日見学できなかった統一会堂を見て、その後チョロン地区の市場を見学・散策した。フエの市場よりずっと大きく、大変な人込みでホーチミンの活気を肌で感じた。 昼食を済ませ、ホテルに戻り最後の自由時間。それぞれが買い物をしたり、体を休めたり思い思いに過ごした。男性スタッフは、万が一に備えホテルで待機。私はその時間を利用してスクール生に一人一人メッセージを書いた。一人一人の事前研修からの姿を思い出しながら・・。 午後4時半に全員がホテルに戻ったのを確認し、6時出発の為に荷物の整理をした。5時過ぎにロビーに下り、早めに清算をして待っていると、スクール生も下りてきた。各自の清算をしている姿を見ているとやはり淋しげだった。 6時、さあ出発だ。全員でバスに乗り、最後の夕食に向かった。そこで全員に書いたメッセージを一人一人名前を呼び上げ手渡した。但し、「家に帰り荷物を開けながら読むように」と言葉を添えて。 ベトナムでの最後の食事も終え、8時30分に空港に向かった。9時過ぎに空港に着く。もの凄い人でごった返す。 最後に事故やトラブルが無いようにスクール生に注意を施す。22個のトランクを下ろし、間違えの無いように次々にX線レーンに入れ、ふと振り返るともうガイドのミンさんは人込みの中に隠れてしまった。落ち着いて「ありがとう」が言えなかった。それだけが心残りである。 無事に全員が出国審査を終え、搭乗待合室で僅かな時間に団旗にサインをした。 11時30分、予定通り飛行機は飛び立った。 【独白】最後の1日は自由時間も多く、緊張感も薄れ、気が抜けがちであるが、スタッフにとっては1番緊張しなければならない日である。買い物に出たスクール生が全員戻ったという報告の時、全員の荷物がチェックインされた時、帰りの飛行機で全員の姿が確認をされた時、ホッとする瞬間である。 |
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