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 ジ ャ マ イ カ 旅 行 記

2000年10月18日〜

                                       10月24日

 突然ジャマイカに行くことに

 

カリブの朝と夕陽の写真はここから!

8月、1通のエアメールが届いた。一昨年我が家にホームステイしていたステファニーという女の子からだった。そこには、「10月19日にジャマイカで結婚式をする」という招待状だった。するとうちの奥さんはおもむろに手帳を持ち出し予定を見出した。「おいおい、まさか行くつもりじゃないだろう。忙しくて行けるわけがないだろう」と言うと、「だってこんな事が無い限りジャマイカなんて行けるわけが無いじゃない。それにいつ死ぬか解らない。」と訳の解らない説得に負けて行く約束をしてしまった。     

   何日かしたら、近所に住むアメリカ人のビルが家に来ていた。「どうしたの?」と聞くと「1ヶ月毎日1時間、英語を習う事に決めた。だってスピーチを頼まれたら困るから」。しかし、彼女の英語が上達したか、役に立ったかは定かではない。(笑)

 

 いざ出発

(写真はいずれもCOYABAホテルより)

10月18日、いよいよ出発の日。それまでかなり忙しかったのでエアーチケットだけは早めに手配したが、ガイドブックを買ったのも10日前、ジャマイカのホテルは、会社で所有しているリゾートクラブの交換システムでリクエストしていたハーフムーンのビラに空きが出ず、1週間前にCOYABAというホテルを確保、乗り継ぐ帰国日のロスアンゼルスのホテルを取ったのは3日前だった。

今回はエアーのルートと航空会社選びには相当頭を悩ませた。なんせフライト時間だけでも16時間、そして必ずアメリカ本土のどこかで乗り継ぎをしなければならなかった。パック旅行で使うルートの多くはマイアミやオーランドまで飛び、そこで乗り継ぎジャマイカへ行くルートが多いが、これでは14〜5時間乗りっぱなしになる。これをエコノミーの席で行くのは辛い。一応JALにエグゼブティブの値段を聞くと60万円だと。デルタで30万円強、これも却下。最終的にバンコク発LA行きのタイ航空に成田から乗ると12万円でエグゼブティブの席に乗れる事が判明、LAからはアメリカ乗り継ぎクーポンでジャマイカ航空を5万円強で買い、合計18万円位で行程の2/3をゆったりとした席で行くことに決定した。前菜からデザートまで別々のお皿に出てくる食事を飛行機の中で楽しみながら出発した。LAに着き、乗り継ぎ待ちの10時間をアメリカ西海岸最大のショッピングセンター・サウスコーストプラザまで行き買い物を楽しみ、深夜エアージャマイカに乗り、19日朝、ジャマイカに着いた。このルートを使うと成田⇒LA、LA⇒ジャマイカのフライト共に夜飛ぶので、昼間の時間を有効に使えた。

 カリブの結婚式

早朝ジャマイカに到着、事前にアーリーチェックインを頼んでおいたのでホテルに直行し朝食をとりながら、結婚式の行なわれるホリデーインに電話をし確認を取った。

 夕方4時からの結婚式。4時少し前に行き、レセプションで聞くとビーチだという。そういえば招待状のドレスコードには「靴は要らない」と記してあった。しかし一応ジャケットを着て靴は履いていった。(笑) 式はカリブの海をバックに、ビーチで執り行われた。私たちは日本の家族(ホストファミリー)と紹介されたが日本から16時間のフライトで来たと言うと感激され、全員がかわるがわる自己紹介に来てくれた。ネイティブではない僕の英語では、とても頭と体を使わなければならなかった。(笑)

 今回の結婚式に出席して強く感じた事は、外国の人は日本人の想像以上に自分達のルーツ・親族の絆を大切にしているという事だった。彼女のお父さんがジャマイカからカナダに移住し、その故郷での結婚式。世界に散らばっている親族が一同に会し、一族の発展を祈る。そんな意味深い結婚式に参加することができ、同じジャマイカで結婚式を挙げる日本人とは大いなる違いを感じた。

(カリブの結婚式)

 ジャマイカ こぼれ話し

(ネグリルのセブンマイルビーチ)

(夕陽を見る特等席・リックスカフェより)

(ダンズリバーフォールで滝登りをする)

(その1・男性天国ジャマイカ人)

ジャマイカは人口比率で男が極端に少ないらしい。聞けば2〜3人の彼女がいるのは当たり前らしい。一夫多妻制の国ではないが、事実として複数の妻と多くの子供を持つのが男としてのステータスらしい。そして女性は男の為に稼ぐらしい。んー、なんてこったい!そういえば今回案内してくれたドライバーも3人の彼女がいると言っていた。

(その2・貢ぐ日本女性)

ジャマイカでも、ハワイやバリと同じように現地の男に優しくされ、貢いだり、帰国後も仕送りをしている日本女性が沢山入ると聞いた。ジャマイカの男はお金を持っている女性にはとことん優しいそうだ。そういえば20代のジャマイカ人は57歳のお金持ちのおばさんの彼女がいると聞いた。(笑)

(その3・海外旅行恒例の・・・)

海外旅行恒例と言えば、タクシードライバーとの言い合いである。今回も例にもれずやりました。(笑) ジャマイカを経つ日はホテルを12時にチェックアウトをしてから飛行機の時間まで4時間タクシーで観光するつもりで前日に予約。

ジャマイカはメーターがないので全て交渉です。前日の交渉で初めは随分と高い事を言ってきたが、まぁ納得のいく金額で妥結。帰る日、約束の時間にホテルのフロントに行くと、妻に「5分だけ仕事をしてくるので待っているように」と言い残し別の客を乗せて行ったらしい。仕方ないかと待つが15分しても戻らない。仕方なくフロントに言い残し近くにいた別のタクシーに乗り出ようとしたところに戻ってきて、乗ったタクシーに怒鳴り始めた。さぁ私は車を降り言い合いに参戦、追い返した。どこの国へ行ってもタクシードライバーとは言い合いをするものである。

(その4・番外編LAにて)

ジャマイカから日本に帰るには、どのルートを使っても乗り継ぎの関係でアメリカ本土に1泊しなければんらない。僕達はやはりLAで1泊をした。帰国便は午後なので午前中にダウンタウンまで行き、大き目のトランクを買ってホテルに戻った。実はコーヒー好きの僕はジャマイカでブルーマウンテンコーヒーを沢山買い込み、トランクに入りきれなかったのである。それも20年使い、壊れそうなトランクだった。ホテルの階段の踊り場で荷物の入れ替えをしていると掃除のおじさんが笑っていた。そのおじさんに「このトランクは使わないので、要る?」と聞くと嬉しそうな顔をしたのでプレゼントをした。おじさんは掃除を中断して嬉しそうにトランクと鍵を持って去っていった。(笑)

 ジャマイカの感想

今回、縁あって初めてジャマイカに行ったが知らない事ばかりであった。アジア諸国・南太平洋は数多く訪ねたがそことはかなり印象が違った。それは国民の90パーセント以上がアフリカから連れてこられた奴隷達の子孫と言うことなのだろうか?フィジーやタヒチのように底抜けに明るい訳でもない。アジア各国のようにエネルギッシュでもない。今まで感じた事の無い独特の雰囲気をもったところである。

★ジャマイカ かつての英領Jamaicaは奴隷の国だった。 女王の命令(?)でアフリカから連れてこられた黒人たちは 人種差別の下で貧しく厳しい奴隷生活を強いられていた。 独立してからも一握りの裕福な白人層が貧しい黒人層を 経済的に支配する構図に変わりはなかった。 (これはアメリカやイギリスの黒人たちも同様だったが...

★マーカス・ガーベー という黒人開放運動家(ラスタは彼の事を預言者と呼ぶ)が現れ、アフリカ回帰運動を起こし、いつかアフリカに黒人の国土が誕生した時こそ、黒人達が救われる父なる国(Fatherland)になると言った。しかし多くの黒人達は諦めていた。 どうせ白人達に邪魔されて黒人が国王になんかなれっこないと。

ハイレ・セラシエ一世 1930年に奇跡が起きた。エチオピアの国王に黒人ラス・タファリが即位した。ハイレ・セラシエ一世である。黙示録でいうユダのライオン、King of King ソロモン王の子孫だと名乗った。(有名なマラソン選手アベベは彼の即近だったそうだ。)

ラスタファリアン 黒人達は狂喜し、彼を現人神(Load of Load)Jah Rastafari と讃え救済者メシアと信じ いつか父なる国エチオピアへ帰ろうと考えた。 やがて旧約聖書(黒人たちに都合良く解釈されたモカビーバージョン) による信仰とからめて、自分達は仮の地TenementYard つまりBabylonに追放されたイスラエルの十二支族の子孫と信じ 約束の地PromisedLandすなわちZionに帰る(Exodus)ことを 人生の目的とした。 彼等は厳しい戒律のもとで、非暴力、人類平等を唱え 菜食主義ItalFoodJamaicaの豊かな自然のなかで仙人のように暮らしはじめる。 白人の作った化学製品を拒否、白人の教育も、そして 差別に苦しめられても死ねば天国に行けるという白人の教義も拒否する。

★ドレッドロックス 彼らは髪を切ってはいけない。髭を剃ってもいけない。体に刃物をあててはいけない。やがて独特の髪型ドレッドロックスが生れた。この髪型はユダのライオンのたてがみを表現し、誇り高いラスタフェリアンの象徴となった。

ラスタファリアンやドレッドにこんな深い意味があったのを今回の旅で初めて知った。世界には歴史があり、物事には意味がある。そんな事をあらためて感じた旅であった。

ほしの

 

 

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